アンジェロ・リトリコの人生哲学
超多忙な生活と大家族を養う義務に追われ、アンジェロ自身は生涯結婚しませんでしたが、親戚の結婚式や、その子供たちの洗礼に立会い、周囲の人たちへの惜しみない援助などによって皆から慕われ、その後も大勢の甥姪たちにありたけの愛情を注ぎます。
ここまではデザイナー、一人の男性としてのアンジェロ・リトリコについて触れてきましたが、彼の人間的全体像を知るためには彼の人生哲学を知らなければなりません。
アンジェロはスタイルの美的完成を求め続けました。彼はファッションが他の分野での仕事と同じように、コンセプトとその実現という二つの基本的要素から成りたっていることを知っていました。
彼はモノではなく、人間を出発点にすることを原則としていました。時流に会った人々の望み、弱点、気まぐれ、美的嗜好を知るために人間の研究をすること、そして、人々の好みを先取りし、明日のファッションのあり方を探り出すこと、それが彼の哲学でした。事実、ファッションとは歴史のショーウィンドー以外の何ものでもないのです。
アンジェロ・リトリコは普段自分についてあまり語りたがりませんでしたが、数々のインタビューの中で彼らしい誠実さと良識で、一流政治家も顔負けの思慮深い意見を述べています。
「自分のことを話すのは苦手です。私生活を大切に思う人なら誰でもそうですが、私も自分の話をさせられる度にまごつくのです。でも、困難な目標を達成し、夢を実現し、長い間別れ別れになっていた家族全員が犠牲を払った後、最後に皆を自分のそばに呼び寄せ、彼らを幸福にしてあげられたことを、正直言って誇りに思っています。これも全て、もとはと言えば、針とハサミという手作業のささやかな小道具でやりとげたことなんですね。毎日うまずたゆまず努力して研究した結果、自分の作品を創り出せるようになったのだと確信しています。」
率直な態度、思考の賢明さ、感情の誠実さなどのお蔭でアンジェロは各界の名士を身辺に惹きつけました。
その名士とは、例えば、マンズー、カルピ、コンサグラ、ドラツィオ、マストロイヤンニ、カロン、グレコ、カッリ、グットゥーゾなどの芸術家、ラファエル・アルベルティ、クヮジモド、ウンガレッティなどの詩人、トーマス・シッパース、シノーポリ、カラッチョロ、パーニ、ゲルメッティのような指揮者、リチャード・バートン、ジョン・ヒューストン、ロッサノ・ブラッツィ、アメデオ・ナッザリ、ヴィットリオ・ガスマンのような俳優、歌手ドメニコ・モドゥーニョ、ケネディー、ティート、ペロン、ペルティーニ、ナセル、レスコル、グロンキ、レオーネ、フセイン大統領、ウムべリト・ディ・サヴォイア、アイゼンハウワー、マクミラン、ニクソン、キュビチェク等の国家主席、アンドレオッティ、コロンボ、プレーティ、モルリーノ、タナッシ、マルファッティ等の政治家などです。
しかし何と言ってもアンジェロ・リトリコの心の広さを理解するには、かの有名なクリスチャン・バーナードの名を挙げなければならないでしょう。バーナード博士はローマに来る度に、リトリコの紹介で何百人という子供たちを診察し、さらにアンジェロの経済支援で、病気の子供たちの手術をケープタウンで実行したのです。アンジェロは自らの少年時代の苦労を忘れておらず、治療と理解を必要とする子供たちの援助を続けたのでした。
しかし何と言ってもアンジェロ・リトリコの心の広さを理解するには、かの有名なクリスチャン・バーナードの名を挙げなければならないでしょう。バーナード博士はローマに来る度に、リトリコの紹介で何百人という子供たちを診察し、さらにアンジェロの個人負担で、病気の子供たちの手術をケープタウンで実行したのです。アンジェロは自らの少年時代の苦労を忘れておらず、治療と理解を必要とする子供たちの支援を続けたのでした。
過去と未来
1986年3月13日アンジェロ・リトリコはこの世を去り、その後を彼の弟妹フランコ、ジューシが引き継ぎました。二人は非常に若い頃からアンジェロの後について、仕事の全工程でアンジェロに協力、アンジェロが仕事でイタリアを長く離れている間は留守中の会社経営を一手に引き受け、立派にその任務を果たしてきたのでした。
2004年6月2日フランコの死後、1998年から社内で働いていたフランコの子供たちと社の実務やターゲットを熟知している技術担当スタッフが伝統と革新をモットーとした優秀なチームを編成しました。こうしてリトリコ社はその業績を開拓拡大し続けているのです。
リトリコは、世界中の政治、経済、文化、映画、芸術関係に顧客を誇るオーダーメイドのアルタモーダ紳士服と、アルタモーダ・コレクションを«クチュール・ア・ポルテ»に変えた商品を取り扱って、世界中に販路を広げています。 |